はじめまして!
えびちゃんです!
プロフィールをご覧いただきありがとうございます。
この記事では僕が36年間で経験した
・成功と失敗を経てブログを書くまで
のイキサツをまとめています。
・えびちゃんってこんな奴なのね
と興味を持っていただけるようできるだけ赤裸々に過去を書きました。
バカな出来事満載ですので、ぜひ笑いながら最後まで読んで僕を知っていただけると嬉しいです!
- 【第4話】新幹線という快適空間を満喫中に次々襲いかかる試練。成長した僕は誰かの役に立ちたいと奮起する。
- 【第3話】引っ越しによって僕が克服したのは自律神経失調症とパチスロどっち?もちろん○○です!
- 【第2話】一生無縁だと思ってたあの場所に行かなければならないなんて…。そして患者になった僕は孤独へと突き進む。
- 【第1話】失敗0の完璧人間の中身は臆病者だった?!順風満帆な人生を歩み切れなかった人間の物語
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順風満帆な人生
「お前は何でもできるよな」
友達、先生、大勢の人に言われてきた言葉。
そう僕は何でもデキちゃうタイプの人間でした。
小学校4年生から続けた野球では
中学生のときに4番ショート、
高校1年の秋にセカンドでレギュラーを勝ち取りました。
ちなみに母校は県ベスト8に入る強豪校で通算打率4割5分ぐらい。
野球を続けてきたのでスポーツ関連の仕事に就きたくて、大学は偏差値が当時60以上の大学の理学療法学科を選びました。
大学生になってはじめた一人暮らし…
誰も僕の行動を止める人はいません。
私服OKな高校なのに、野球部の規則で丸坊主学ラン姿を強制されてた高校時代。
大学ではその禁欲生活の反動がすさまじかった。
大学での生活スタイル
・週5日はバトミントン部(男女混合)
・友達の家で一晩中「桃鉄」に明け暮れる
・余った時間は個別指導のバイト三昧
・週末は2時間かけて当時の彼女と会う
・友達と旅行で全国を飛び回る
九州、四国、長野、青森、北海道・・・
遊びすぎて留年や退学してたらメシウマですが、僕の快進撃はここでは終わりません。
友達と最大限遊びながらも上位成績を維持して、40人の学科を首席で卒業しました。
ちなみに僕は手首が激細で腕時計がグルグル回ってしまうので、父にプレゼントしました。
まだまだ遊び足りなかった僕は
大学院(修士課程)へ行って
卒業論文も書きあげてサクッと2年で卒業しました。
就職も教授の紹介で難なく決まりました。
さっと書きましたが表向きは順風満帆な人生を送ってますね!これなら「おまえは何でもできる」って言われるのも分かります( *´艸`)
まわりから見れば・・・ですけどね。
僕の心はそんな順風満帆な人生と真逆の反応をするようになります。
人生が成功すればするほど、僕の心は成功に執着して締め付けられていったんです。
「何でもできる」という呪いの言葉
多くの人に「何でも出来る」と言われ続けた結果、僕はこんな風に受け止めるようになります。
『僕って何でもできるんだな』
⇒『でも僕が失敗したらみんなどう思う?』
⇒『僕には価値が無いと思うに決まってる!』
⇒『失敗しちゃいけないんだ』
と完璧を目指し続けることに…
こんな考えを止めるチャンスいくらでもありました。
簡単な事です。
『挑戦して失敗したら認めて成長する』だけですから。
過去の僕が素直に失敗を認めてたら
『失敗⇒学び⇒成長⇒失敗⇒学び…』
とんでもなく大きな人間になってたことでしょう。
ホメられ天狗だった僕は失敗を認めず、
さらに失敗を恐れてどんどん挑戦しなくなりました。100%成功する事しかやらなくなったので、成功しても満たされません。
モヤモヤした気持ちは日に日に増すばかり。
そしてあの日…
輝かしい出来事ばかりの人生が終わりました。
僕が壊れた日
あれは就職5年目の3月
桜満開・ぽかぽか陽気の一日でした。
そんな春の穏やかな日に衝撃的事件が起こります。
土曜日だったので勤務は12時終わり。
僕は後輩A君から課題を受け取るため、帰る前にスタッフルームへ立ち寄りました。
中では後輩が一人でパソコンを使って何か作業してます。
A君、課題見せてー
出来てません
A君の返事があまりにも軽く
申し訳なさのカケラもなかったので
僕は驚きでしばらく言葉が出せませんでした。
A君が今必死にやってる作業が締め切り当日の課題だったなら…
僕も『手伝ってあげよう』なんて思ったかもしれません。
でも課題をやっているようには見えませんでした。
数秒後、僕はようやく言葉を絞りだすことができました。
なんで期限内に完成しなかったの・・・?
うーん(考えてるふり)
どうやら最初から今日提出する気が無いようで、また沈黙が続きます。
僕は湧き上がってくる言葉「てめぇ、この…」を必死に抑えてスタッフルームを出ました。
『あいつ何考えてんだろ…』
誰もいないロッカールームでしばらくぼーっとしてました。
ふと時計を見るともう2時過ぎです。
さすがにお腹がすいたので、仕方なく私服に着替え駐車場へ歩き出しました。
小道には桜が満開です。
駐車場で車に乗ったとき
僕は自分の身体の異変に気づきます。
・あれ?うまく息が吸えない。
・胸が苦しい・・・
・腕が持ち上がらない。
僕の身体なのに上手く動かせない。
動けなくなってしまったので、
車のシートを倒してしばらく横になりました。
その後、ほとんど記憶がありませんが自宅にはたどり着けたようです。
気が付いたら自宅のベッドで寝てました。
その日は夕飯を食べるどころかトイレに起き上がる事すらできませんでした。
『イライラして疲れたんだろうな。』
この時はまだ、そう思ってました。
こうして穏やかな一日が崩れ去ったのです。
僕が壊れた理由
実は・・・
このプロフィールを書くまで
【体調を崩した理由】は僕にもよく分かってなかったんです。
ここでは当時を振り返ってみて分かったことを書きたいと思います。
思い返してみると
事件のずーっと前から、僕は後輩の行動にイライラしてたようです。
・勉強する意欲が見られない
・ホウレンソウが遅い、忘れる
・自分でスケジュール管理しない
などなど…
僕がいくら後輩に伝えても思うように改善されません。
そんな日々のストレスが積み重なり、
・上司から任されたプレッシャー
・全く成果の出ない後輩指導
に悩んで悩んで悩んでいたところ…
『課題の提出期限を守らなかった事件』
が引き鉄となって僕のカラダは壊れた。
と僕の中では結論を出しました。
苦しかったなぁ…
理由も分からず長い時間を過ごしました。
なにしろこれを書いているのは5年後なので。
そろそろ本編に戻りましょう。
続きをご覧ください。
人生が終わった
悪夢は1日では終わりませんでした。
翌日も身体は鉛のように重たく、胸の後ろあたりは常にぎゅーっと締め付けられてるように感じます。
症状は少しずつ軽くなってきたので、月曜の朝は最低限の支度をして自宅を出ました。
職場に車で向かう途中の赤信号。
あの症状がぶり返します。
・息がうまく吸えない
・腕が痺れて力が入らない
・職場に近づくほど強くなる動悸。
僕のカラダが職場へ行くのを完全拒否してます。
何とか朝の5分間ミーティングまでは気合で耐えました。
しかし、仕事の準備しようと思った瞬間!
遂に動けなくなって、患者さんの治療用ベッドで休ませてもらいました。
ベッドであお向けになりながら
『人生終わったなー』
と天井を見ながら心の中でつぶやきました。
今まで歩いてきた道の先が途切れました。
僕が患者になったんです。
しばらくして…
なんとか仕事に戻りましたが、今度はこれからの未来が気になって仕事が手につきません。
・職場スタッフには症状をどう説明しよう
・仕事は辞めないといけないかな
・子供もまだ小さいのに育てていけるかな
というのも、
僕にはこの症状との戦いは長期戦になる予感がしていたんです。あそこで診察してもらうしかない。
覚悟ではなく、諦めです。
諦めた僕は17時になるとすぐに仕事を終えて、ある場所へ向かいました。